六百七拾万人中の一人

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回向柱と祈り
善光寺の御開帳ニュースにひかれて、回向柱に手のひらを当てて五色の紐で結ばれた"前立本尊”のご縁を頂いた。阿弥陀如来のご加護が七年間得られるというありがたい善光寺さんの儀式だ。
全国から訪れた善男善女673万人の一人として、仏陀のご守護を祈った。

里帰りの三尊立像
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この日もうひとつの目的は、善光寺史料館や隣の長野県信濃美術館であった。ここで開催されている阿弥陀三尊立像の展示企画をユックリと観覧した。快慶作の仏像研究や、リンデン民俗学博物館(独)の阿弥陀三尊立像とともに、「善光寺式三尊像」という制作様式の共通点をもつ諸仏が展示されていた。
今日は善光寺信仰についてさらに謎解きがすすんだ。一方で、私自身の信仰心も問われる一日だった!

[漢詩]
この漢詩は良寛さまが帰郷する途上で、20年ぶりに再度善光寺を参詣された39才の時の作といわれる。境内参道の大寺院の門前に歌碑がある。
一風変わった仏教者で、生涯にわたって一度も寺の住職に就くこともなかった。しかし、現代でも愛されて尊敬される大人物である。それにもかかわらず、この漢詩には優しく純粋なお人柄が感じられませんか。

 「再び善光寺に游ぶ」 良寛作
曽て先師に従って此の地に游ぶ
首を回らせば悠々二十年
門前の流水 屋後の嶺
風光 猶 昔日の妍に似たり


(読み)
 「ふたたびぜんこうじにあそぶ」
かって せんしにしたがって このちにあそぶ
こうべをめぐらせば ゆうゆうにじゅうねん
もんぜんのりゅうすい おくごのみね
ふうこう なほ せきじつのけんににたり

再=ふたたび。游=旅をする。曽=以前。先師=亡くなった自分の師匠。従=ついて行く。
回首=首をめぐらす。昔を振り返る。悠々=はるか。風光=景色。妍=美しい。
(通釈)
 以前亡くなられた本師に従って、この地を旅した。昔の事を思うと遥か遠くなり、二十年も前の事である。しかし、お寺の前の小川の流れや、本堂の後に聳える山は、昔と同じように美しい景色を示している。
(注、新潟良寛研究会HPの良寛詩歌講座より一部を抜粋させていただいた。)





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